最近、日本の公立中学校で部活指導を地域の団体に委ねていくという「部活改革」が提起されています。教育の質を保つための学校改革の一環といいます。
私は中学教員時代、ソフトテニス部、バスケット部、相撲部の顧問をしました。経験のあるテニスでは子どもたちと一緒に汗を流して、先生に勝ったら全国チャンピョンだ!といいながら、楽しく活動していました。その中で、意外にも経験のないスポーツに学ぶことが多くありました。それは経験主義に陥ることなく、否定の言葉(No)を使わずに指導できたことです。こうした学びが、教科や生徒指導の指導にもつながりました。だから、今回の改革には一抹の不安と淋しさを感じます。
近年、スポーツの世界では選手自ら考える土壌作りが進みます。自分から意見やアイディアを出せるようになると、選手は育ちます。自ら考えることでプレーの幅が広がり、それが「化学変化」につながり、チーム力となります。そのためには、日頃からのコミュニケーションも大切です。 学校も、同じように思います。先生から一方的に教わるだけで、考える習慣を身につけていない子どもは、中々伸びません。自ら考えることは大変ですが、集団の中で自分の役割を考えることは、将来どんな社会にも生きます。 子どもたちは任せないと成長できませんが、任せすぎてもいけません。ここが難しく、教師の手腕の見せどころです。目標に照らして間違った方向に進んでいたらヒントを示して考えさせることが大切で、型にはめたり、やり方を押しつけても、決して子どもは伸びません。 言葉で説明して、納得させることも大切です。表面的なコピー&ペーストでは上手くいきません。経験に頼るだけではなく、指導法を常に考える不断の「学び直し」が大切です。
私はラグビーの競技や考え方が好きで、本場のニュージーランドで試合を観戦したこともあります。ラグビーは試合中に監督はスタンドにいるので、逐一指示は出せません。だから試合では自身で考えるのは当然で、選手の判断で、監督の指示に従わないことさえあります。 象徴的だったのが「スポーツ史上最大の番狂わせ」といわれたイングランドで開催された2015年ワールドカップの対南アフリカ戦です。日本は終了間際に相手が反則した際、ペナルティーゴールで同点にして引き分けを狙えという指示に従わず、トライを狙って逆転。最後の局面で、試合はまさに選手のものになっていました。 監督が立てた作戦が上手くいかなかったら監督のせいにできますが、選手が決めれば上手くいっても、いかなくても自分たちで結果を受け入れなければいけません。それらをひっくるめてラグビーの魅力で、「楽苦美」(ラグビー)といわれる所以です。
現代の子どもを指導する我々教員や保護者も、「大人」として、今の子どもたちに学びながら、伴走していきたいものです。
2022年5月13日
アトランタ補習授業校
校 長 小 泉 敦