リンドリー校の正面玄関前の駐車場に大きな樹木があります。陽が出ると木陰ができて格好の駐車スペースになっています。 登校日の朝に玄関を開けると、まず目に留まるのがこの大樹です。陽が昇るにしたがい、枝を広げた樹木が姿を変えていきます。 10月に入り早朝のグランドに、グース(雁)が羽を休めていることがあります。朝露に濡れた広い芝の上をのんびり歩いている様はジョージアらしい光景です。こうして子ども達を迎い入れる準備が整って、一日が始まります。 NHK連続テレビ小説“おかえりモネ”を日々欠かさず観ていましたが、昨日の放映が最終回でした。 ドラマの舞台は宮城県気仙沼市の離島、ヒロインのモネ(永浦百音(ももね))は10年前に東日本大震災が起きた時、地元にいなかったことに悩みながら生きていきます。 ドラマでは東北に生きる人の語る“言葉”が、心に響きました。 「山の葉っぱさんたちが海の栄養になるのさ。山は海とつながっている」と語るカキ養殖漁師のモネの祖父は、海の仕事をしながら上流の山に木を植え続けます。森の落ち葉は朽ちて腐葉土になり、その成分はやがて山から川へ、そして海へと流れ込み、魚介を育む養分となることを教えてくれます。世界中の空、山、川、海のすべてが関わって、命は紡がれているのです。 ドラマには“当事者性”という大きなテーマがありました。震災の当事者とは誰なのだろう。当事者でない者はどう向き合っていけばいいのだろう。 モネは震災の時、たまたま島を離れていて、“何もできなかった”と後ろめたさを抱き、地元を離れて暮らします。「何もできなかったと思う人は、次はきっと何かできるようになりたいと強く思う。その思いが私たちを動かすエンジンです」という言葉が響きます。 「どんなに時代が変わっても、面白さを見つけられれば、人間はいくらでも熱くなれる」は今を生きる世代へのエールであり、「事実を変えることはできないし、あなたの痛みは僕にはわかりません。でも、わかりたいと思っています」というセリフはわかりあえない者同士でも、一緒に生きていくことができることを教えてくれます。 ちょっとモネ・ロスの今、10年後に再び「おかえりモネ」が帰ってくることを願っています。 2021年10月29日 アトランタ補習授業校 校 長 小 泉 敦
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See All約3年間、登校日に合わせて発行してきたハナミズキが最終号(通算111号)となります。本来であれば、41(授業日数)×3(年)=123号となるはずでした。第1号の発行は2020年9月6日、数字にはこの間のコロナ感染に翻弄された状況が反映されています。 私は86年夏、父の死をきっかけに京都での学生生活を終えて、青森県で中学校社会科教員となりました。その後、インドネシア・ジャカルタ日本人学校3年、香港日
今年も3・11が巡ってきます。大きな悲しみに包まれた東日本大震災の発生は今年と同じ“うさぎ年”、あれから12年が経ちます。「行って来ます、行ってらっしゃい」、「ただいま、おかえり」のある、日常の有り難さを思います。 昨年の秋以降、小学部5年以上の教室へうかがい出前授業をしました。一期一会の出会いを大切に、短い時間でしたが、子どもたちと向き合いました。 自己紹介したあとに、30歳で『アンネの日記』を
弥生3月に入りました。思い起こせば3年前、この時期からコロナ感染が広がり、日本の学校では登校自粛、卒業式の延期・中止が議論されました。私は保護者の合意をもとに午前授業を続けて、予定通り卒業式・修了式を行いました。現職校長として最後でしたので、安堵したことを覚えています。 その後、4月初旬の渡米がキャンセルとなり、青森―アトランタをつなぎオンラインでミーティングをしましたが、歯がゆい思いでした。よう
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