コロナウィルスの拡大により、1年延期された東京五輪・パラリンピックが閉幕して、約一ヶ月が経ちました。
夏休み明け、子どもたちが持って来てくれた作品の中に五輪に関わる工芸品があり、先日4年生の子どもたちが作成していた学級新聞にも五輪の記事がありました。子どもたちの夏の思い出に、大会の出来事が刻まれていたのでしょう。
東京五輪・パラリンピックを組織委員会の一員として支えてくれた教え子(15年前)がいます。 約6年半にわたって計画の立案や調整を担当、海外の要人との交渉も担い、「これからも日本と海外をつなぐ役割を担いたい」とLINEで連絡をくれました。頼もしい限りです。 彼女は学生時代、ベトナムやミャンマーで教育支援ボランティアに参加して、現地の雑貨を買い付けて日本で販売、収益を教育に活用する活動にも加わっていました。この時に海外との交流の楽しさや大切さを学んだといいます。 インフラ輸出の都市外交に関わりたいという希望から、8年前に東京都庁へ入り、その2年後に組織委員会へ出向、部署では最年少の職員だったようです。本番では会場運営の担当課に転属し、19年のテストイベントも受け持ちます。 昨年3月、コロナの波が日本にも押し寄せ、在宅勤務が続いた時は心が折れそうになることもあったようですが、持ち前のしぶとさを発揮して本番を迎えます。 担当した東京国際フォーラムの会場では五輪とパラリンピックの重量挙げが行われます。五輪は無観客でしたが、パラリンピックではインターナショナルスクールの生徒たちを迎えて学校観戦が実現でき、本当にうれしかったようです。
現在はこの経験を、次に生かさなければ意味はないと考え、海外のバックグランドをもっと知り、日本と海外をつなぐ役割を担っていきたいと言っていました。 数年前に彼女から五輪ボランティアの誘いを受けていましたが、補習校への派遣と重なり、叶いませんでした。チャンスがあれば、次に何かチャレンジしたいと思っています。
2021年10月8日
アトランタ補習授業校
校 長 小 泉 敦