毎月、事務局より『海外子女教育』がclass dojoに配信されています。その11月号に第42回海外子女文芸作品コンクールの審査結果と作品が紹介されていました。今回はコロナ禍の中でグローバルな視点で描かれている作品、異文化に戸惑いながら生活している様子を綴る作品が目につきました。 その中で、強く印象に残った作品を紹介したいと思います。北米補習校の中3に在籍する「謝ってよ」と題する作文です。
私は2019年の6月から約2ヶ月間、初めて日本の学校に通った。それまでも3年連続でアメリカの学校の夏休みを利用して、日本にある母の地元の小学校に通ったとはいえ、それとは異なる中学校ではあることはもちろん、決まった制服を着て小学校の倍以上の生徒数を誇るその中学校を目にした時は、ワクワクした気持ちを隠しきれなかった。 前年までの小学校での体験入学で学んだ通り、校舎入り口で上履きに履きかえて靴を下駄箱に入れ、長い廊下を歩き、安心して去年よりちょっと大人びた同級生がいる教室に足を踏み入れた。しかし、小学校と中学校は全く別物だということに気付くのに五分もかからなかった。
クラスは既に友達グループが出来上がっており、去年仲良くしてくれた友達もよそよそしい態度で、私を輪の中に入れる気がないのは明らかだった。教室の移動の時も、教室の場所が分からない私に手を差し伸べる生徒は皆無で、一人教室に取り残され、30分本を読みながら待った。 給食の時間も、誰とも話さず無言で食べて、昼休みは校庭で遊ぶ男子生徒たちを一人ぼんやりと眺めた。毎年夏休み日本に行くたびに遊んでいた小学校の友達が誰一人私に話しかけて来なかったのが不思議でたまらなかった。今まで感じたことがなかったアメリカと日本の距離が、突然自分の周りに現れたようだった。
そのまま一週間がたったころ、私にとって衝撃的な事件が起きた。社会の授業で、第二次世界大戦について学んだ時のことだ。東京大空襲、広島・長崎への原子爆弾投下、日本の無条件降伏を受諾したポツダム宣言など、私たちの年齢で学ぶには辛い歴史であり、それを学ぶにつれて心がズンと重くなった。 その授業では、私が生まれ育った祖国であるアメリカが、もう一つの祖国である日本にもたらした被害についての内容に触れられ、更に悲しく、なぜか肩身が狭いような気持ちになった。今考えれば、同級生からの視線のせいかもしれなかった。その社会の授業後の休み時間にこんなことをいわれた。
「ねぇ。原爆のこと、誤ってよ。アメリカ人なんでしょ。」
私の頭の中は真っ白になった。何も悪いことをしていない私が、なぜアメリカを代表して謝罪しなければならないのか。去年までドッジボールをして遊んでいた同級生たちとは物理的にも心理的にも日米間以上の距離ができ、それなのに彼らが投げたボールは私の頭を直撃したように感じた。そんな混乱の中、以前遠く離れたアメリカでも同じような経験をしたことを思い出した。 小学校4年生の、同じく社会の授業だった。日本軍が真珠湾を攻撃し、アメリカは多くの被害を被ったことを学んだ。授業後、クラスメートの一人に聞かれた。 「日本はどうして真珠湾を攻撃したんだ?ひどいじゃないか」 私はまだ幼かったこともあり、今以上に混乱し、ただただ悲しかった。早くこの単元が終わることを心から願い、いつもは誇らしげに食べるランチタイムのおにぎりをクラスメートの前で食べなかった。百パーセント馴染めないかも、という恐怖は食欲さえなくした。 (以下、次回に紹介します)
2021年11月12日
アトランタ補習授業校
校 長 小 泉 敦