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はなみずき 11/13/2020 #11

今週は運営委員長・事務局長とともに、補習校に支援いただいている関係者にお会いして、懇談する機会をもつことができました。 まず「在アトランタ日本国総領事館」へうかがい、総領事をはじめ領事の方々にお会いし、これまでの支援に感謝申し上げ、今後もお力添えいただけるようお願いをしました。総領事からは管轄下にある補習校が苦労されながら学校運営に尽力していることに対し、労いの言葉をかけていただきました。その上で今後も子どもたちが健全に生活できるよう、サポートしていくことをお約束いただきました。

また「ジョージア日本人商工会」の会長をはじめ、教育部の方々とは今後の補習校への援助のあり方などについて、率直な意見交換をすることができました。両機関の方々に、改めて感謝申し上げたいと思います。 ジョージア日本語学校(アトランタ補習授業校)約50年の歴史をひも解くと、創立当時の苦労を偲ぶことができます。


1974年12月に在留日本人、日本国総領事館、オグレソープ大学などの支援と援助をうけて教員2名、児童・生徒9名で発足した後、在籍者の急増にともない1981年にグイネット郡のビバーリッジ小学校に校舎移転、その際にアトランタ懇話会(現ジョージア日本人商工会)から独立することになります。 さらに同年、日本からの教員派遣が行われ、物心両面にわたる援助が開始されます。開校から10年後の1984年、コブ郡教育委員会と在留邦人・保護者の尽力によって、現在も借用するリンドリー校への移転が実現して現在に至っています。


校章「はなみずき」と小椋佳作詞・作曲による校歌「はなみずきの道」が完成したのも、開校10周年の時です。 これからの時代を担っていく子どもたちが、アメリカ・ジョージアで学んだ経験を生かして多様な価値観や文化を理解し、インターナショナルな大志をもった人間として成長することを念願して、創設された補習校です。 現在のような困難な状況にあっても、その歴史は脈々と流れて息づいています。今回の訪問は私にとって、今後も多くの方々に支えていただきながら、学校の歴史を刻んでいくという思いを、新たにする機会となりました。


先週は幼稚部(ゆり組、もも組、さくら組)の活動に参加しました。さすがに前日は少し緊張しましたが、いらぬ心配でした。子どもたちの楽しく活動する様子に、私自身が元気とエネルギーをもらっていました。 次の日、ある子が学級担任を通じてメッセージビデオを届けてくれました。当日に通信環境が途切れて話すことができなかったからでしたが、心に響きました。「わたしは、がっこうがだいすきです。わたしはきょう、おりがみをつくりました。こうちょうせんせいに、しつもんがあります。はやくがっこうにいきたいといったけど、きこえなかったのでビデオをおくります」。 子どもの気持ちも受け止めながら、今後の学校の方向性について運営委員の方々と話し合いを進め、その結果については近日中にお伝えしたいと考えています。


2020年11月13日

ジョージア日本語学校

校 長 小 泉 敦

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