(前回からの続き)
私はこの二つの学校での出来事の共通点に、今回の出来事を経て気がついた。日本もアメリカも、お互いの被害についてしか注目していないのだ。戦争における自国の行動を正当化するために、自国の被害を中心に、自国目線からの戦争の背景や状況しか学校では教えてくれない。 世界大戦というくらいだから多くの国が関わることになった戦争なのに、一国だけの視点を学ぶというおかしな話には、誰も異を唱えない。第二次世界大戦はそれぞれの国の事情と思惑が交差し、世界を巻き込む戦争という悲しい結末となった。 それぞれの国が悪であり善でもあった、と言ってもいいかもしれない。学校教育で、その全体像に触れずに、自分の国の「善」の部分ばかりを強調すれば、アメリカでも日本でも子どもは複雑な戦争の一面しか見えず、どうすればこのような惨劇を再び起こさないようにするかの話し合いがなかなか始められない。 そして釈然としない敵対心に似たわだかまりを抱えたまま成長し、世界平和へ向けての協力体制の築き方を知らぬまま大人になってしまう。その結果が今でも世界のどこかで続く戦争であり、その多くが解決に至らないどころか、新しい争いのニュースさえ飛び込んでくる。私は大人になってからもそんな世界を生きて行くのはいやだ、と強く思う。
今回の出来事を経験して、私はようやく自分自身に与えられた役割を見出した気がした。今の子ども達に、そしてこれからの世代にも、これまでの戦争を全体的な目線で学ぶ機会を提供し、今後同じ悲劇を繰り返さないために、私たち若い世代がどう歩み寄っていくかを自由に話し合えるような仕組みを作りたいと思う。 私は日本とアメリカ両国で生まれ育った両親の下で価値観を学び、両国の学校教育を経験する幸運に恵まれ、グローバルな視点で現在起こっているニュースや歴史をとらえる重要性を知っている。私は日本とアメリカしか知らないが、世界中の若者が手を取り合えば、もっと多くのグローバルな視点を共有できるし、ゆくゆくはこれから起こりうるであろう社会問題もクリエイティブに解決できるのではないだろうか。 例えばオンライン上でカンファレンスを開催し、世界中から集まった中高生が経験談や自分の考えを交換し、世界平和への一歩となるアイデアを共同で作り上げ、ゆくゆくはそれぞれの国の政府や国際機関に発表するのはどうか。もちろん私はそのカンファレンスでそれぞれの国での学校教育でグローバルな視点から歴史を振り返るカリキュラムを提案したいと思う。コロナ禍でオンラインのフォーマットに慣れ親しむこととなった私たちには、そのような機会を作ることは以前よりもシンプルなはずだ。 若者の世界平和への強い思いとそれに向けた現実的なアイデアが少しずつそれぞれの国のトップに届き、それが世界に広まる。それは各国の思惑だけにとらわれ、敵対するよりも、ずっと持続可能だし、何よりもそんな社会は楽しくて住みやすそうで、考えただけでもワクワクする。 だから、「アメリカ人として謝ってよ」、「日本はひどいよ」と批判されても、私はそれを対話で始めるチャンスだと受け取り、その対話を少しずつ広げていき、世界平和という大きな夢へ果敢に取り組んで行こうと思う。(終り)
来週はThanks giving Dayとなり、学校も休みになります。
どうぞご家族で、楽しいひと時をお過ごしください。
2021年11月19日
アトランタ補習授業校
校 長 小 泉 敦