今日は雨になりましたが、12月1日(火)の朝は起きることをためらいたくなるような寒さでした。気温を確かめるとなんと-2℃。張りつめるような冷たい空気に驚きました。 青森の家族から数㎝の積雪があったという連絡が入ったばかりでしたので、 ジョージアでこんなに早くに冬の便りをきくことは、想像できませんでした。ベランダに出て見るとうっすらとした雪模様。季節はいっきにギアを上げて師走に入りました。皆さま、健康には十分ご留意ください。
先週、悲しいニュースが世界を駆け巡りました。アルゼンチンが生んだ不世出のサッカー選手、ディエゴ・マラドーナさんが60歳の生涯を閉じました。 1960年生れの同学年ということもあり、妙に親近感を抱く、憧れの選手でした。 彼の経歴を辿ると、自分の来し方を思い起こします。 私は「3S」の町、青森県五戸町に育ちました。Sは「坂のまち」、「桜鍋(馬肉)」、そして「サッカー」の頭文字です。地域のサッカー熱は高く、私も小学生の頃はスポーツ少年団に入り、ボールを追い回していました。 1986年のW杯メキシコ大会でマラドーナ選手率いるアルゼンチンが優勝したのは、私が教職に就いた年でした。
小柄な体で「サッカーの母国」イングランド戦で、ヘディングに見せかけて手でボールを入れた「神の手ゴール」、約60mをドリブルで独走した「五人抜きゴール」は、何度見ても魅惑的です。 「中学校教員としてやっていけるだろうか・・」 荒れがくすぶり、前途に思い悩むことのあった初任の頃でした。マラドーナ選手の小気味いい、スカッとしたプレーに励まされたことを覚えています。
1990年代初め、学生時代に出会った友人のアレッサンドロ・バロータさん(イタリア・ピサ大学)と再会するために渡欧した頃、マラドーナ選手はイタリア南部のナポリでプレーしていました。イタリアには経済的に豊かな北部と貧しい南部という「南北問題」の深い根があります。強豪ではなかったナポリをリーグ優勝に導いたマラドーナ選手を、友人が絶賛していたことを覚えています。 その後、1994年W杯米国大会でドーピング違反による出場停止処分も受けます。「神の子」「天才児」「魔術師」と称賛される一方、「反逆児」との評価もあったマラドーナ選手。今は同じ時代を生きた一人を失ったという思いです。
2020年12月4日
ジョージア日本語学校
校 長 小 泉 敦