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はなみずき 3/10 /2023 #40(第110号)

今年も3・11が巡ってきます。大きな悲しみに包まれた東日本大震災の発生は今年と同じ“うさぎ年”、あれから12年が経ちます。「行って来ます、行ってらっしゃい」、「ただいま、おかえり」のある、日常の有り難さを思います。


昨年の秋以降、小学部5年以上の教室へうかがい出前授業をしました。一期一会の出会いを大切に、短い時間でしたが、子どもたちと向き合いました。

自己紹介したあとに、30歳で『アンネの日記』を読み、はじめて海外に渡ったこと、その後20カ国余りを旅したこと、東日本大震災当日のことなどを話し、最後にちょっと怖い話(怪談)をして、終りました。

質疑応答のあと、最後は巡った国々のあいさつ(ありがとう、こんにちは、さようなら)を大きな声で復唱しました。トリマ・カシ、スラマッ・パギ、スラマッ・ジャラン(インドネシア)。タラルハラー、サインバイノー、バヤルタイ(モンゴル)。スパシーバ、ドープラエ・ウートラ、ダスヴィダーニャ(旧ソ連)。ウゴイ・ゾーサン・バイバイ(香港)。カムサハニダ・アニョンハセヨ・アニョンヒ(韓国)。グラツィエ・ボンジョルノ・チャオ(イタリア)・・・


子どもたちから届いた感想を、少し紹介します。

「校長先生の話を聞いたら青森へ行きたくなりました。世界も回りたくなりました」(5年)。「とても楽しい授業でした。国によって文化が違うことがわかり、私も色々な国へ行って学びたいです」(小6)。「モンゴルの子どものことが印象に残ります。世界は丸いからいつかまた会える」(中1)、「小さな所から大きな所は見えるが、大きな所から小さな所は見えないという言葉に共感しました。広い視野をもちたいです」「夢は海を見ることというモンゴルの子どもの言葉に衝撃を受けました。私も世界を旅して、自分の眼でしっかり見たいと思います」(中2)。「どこの国でも笑顔とジェスチャー、そしてあいさつができればコミュニケーションがとれることがわかりました」(中3)。「心に残った星空の経験が3回あることを聞いて、大人になって楽しいことってたくさんあるんだなぁと希望がもてました」(高1)。「校長先生が毎朝、おはようと言ってくれるのがとてもうれしく、校長先生の人生経験が聴けて良かったです」(高2)。


中には、こんな質問がありました。

「青森は美人が多いと聞きますが、それは本当ですか?」「青森では水道からりんごジュースが出たりしますか?」(高2)

私にとっても、心に残る「授業」となりました。


来週末、学級担任から「通知票」が配信されます。私も全園児・児童・生徒のコメントに目を通しましたが、生き生きと学ぶ姿が浮かびました。日本語学校での、かけがえのない記録となることを願います。

2023年3月10日

アトランタ補習授業校

 校 長 小 泉 敦

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