top of page

はなみずき 6/4/2021 #9 (第38号)

先週の幼稚部と1年生の登校日、さすがに午後は疲れが見られたものの、子どもたちは一日中元気に過ごしていました。

一日の生活の中で、子どもたちが輝いて見えたのは何といってもランチの時間です。マスクを外して、仲間と一緒に食べるお弁当は格別の様子で、子どもたちの満足した表情(‘_’)に私も幸せな気持ちになります。

長い一日を終えて、保護者と帰る子どもたちの表情も良いものです。一日を楽しく終えた安堵からでしょうか、「バイバイ」、「またね」という声がゴムボールのように弾んでいました。


先生方から、「子どもたちから元気をもらいます」という話を聞きますが、本当にそうです。中学生との付き合いが長かった私にとって、小学生との触れあいは心地よい時間となっています。

一日を終えると体力的な疲れはあるものの、心の中は子どもたちからもらうエネルギーで満タンです。何ものにも代えがたい、学校の良さだと思います。


月に数回、北米にある補習校の校長同士でオンライン会議を開き、情報交換会を行なっています。北米には文科省から校長が派遣される補習校が30校あります(文科省派遣のない北米補習校は約90、ちなみに世界には約230の補習校があります)。

その中で昨夏、約20名の校長が北米に赴任しましたが、学校は閉鎖され、授業は全てオンラインでした。そこでこの困難な状況の中で智恵を出し合おうと、有志で意見交換会を始めました。参加している補習校は概ね、以下の通りです。

ボストン、シアトル、シカゴ、オハイオ西、インディアナ、セントラルケンタッキー、デンバー、フラデルフィア、ダラス、ポートランド、マイアミ、オーランド、ロサンゼルス、サンディエゴ、バンクーバー、アトランタ

児童生徒が千人を超す大規模校から、百人前後の学校までそれぞれですが、どこの学校も手探りで学校運営に努めています。


2021年6月現在、上記の補習校の中で登校できているのはオハイオ西とアトランタのみです。他の補習校は8月以降の登校再開を目ざしているのが現状です。登校が厳しい最大の理由は校舎借用の問題です(児童生徒数100余のオハイオ西は自前校舎)。本校の場合はコブカウンティーとリンドリー校の理解によって、2月から分散登校を実施、卒業式も体育館で行い、今年度も分散登校を継続、現在は分散ですが一日の学校生活ができています。

厳しい状況の中、ここまで積み上げられたのは運営委員会や保護者をはじめ、先生方や事務局の理解と協力、そして子どもたちの笑顔と前向きな姿のお陰です。本当に、有り難いことです。


2021年6月4日

アトランタ補習授業校

校 長 小 泉 敦

Recent Posts

See All

約3年間、登校日に合わせて発行してきたハナミズキが最終号(通算111号)となります。本来であれば、41(授業日数)×3(年)=123号となるはずでした。第1号の発行は2020年9月6日、数字にはこの間のコロナ感染に翻弄された状況が反映されています。 私は86年夏、父の死をきっかけに京都での学生生活を終えて、青森県で中学校社会科教員となりました。その後、インドネシア・ジャカルタ日本人学校3年、香港日

今年も3・11が巡ってきます。大きな悲しみに包まれた東日本大震災の発生は今年と同じ“うさぎ年”、あれから12年が経ちます。「行って来ます、行ってらっしゃい」、「ただいま、おかえり」のある、日常の有り難さを思います。 昨年の秋以降、小学部5年以上の教室へうかがい出前授業をしました。一期一会の出会いを大切に、短い時間でしたが、子どもたちと向き合いました。 自己紹介したあとに、30歳で『アンネの日記』を

弥生3月に入りました。思い起こせば3年前、この時期からコロナ感染が広がり、日本の学校では登校自粛、卒業式の延期・中止が議論されました。私は保護者の合意をもとに午前授業を続けて、予定通り卒業式・修了式を行いました。現職校長として最後でしたので、安堵したことを覚えています。 その後、4月初旬の渡米がキャンセルとなり、青森―アトランタをつなぎオンラインでミーティングをしましたが、歯がゆい思いでした。よう

bottom of page