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沿革

1974年 12月

1978年  4月

1981年  2月

1981年  4月

1983年  4月

1984年  1月

1984年  4月

1987年  4月

1990年  4月

1991年  4月

1992年  4月

1993年  4月

1994年  4月

1994年  12月

1995年  4月

1996年  4月

1997年  4月

1998年  4月

1998年  2月

1999年  4月

2000年  4月

2000年  9月

2001年  4月

2001年  8月

2001年  10月

2002年  4月

2003年  4月

2003年  5月

2004年  2月

2004年  4月

2004年  10月

2004年  12月

2005年  3月

2005年  4月

2006年  4月

2007年  4月

2007年  9月

2008年  4月

2009年  4月

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2011年  4月

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2013年  4月

2013年  9月

2013年  12月

2014年  4月

2015年  4月

2016年  4月

2016年  10月

2017年  4月

2017年  9月

2018年  4月

2018年  10月

2019年  4月

2020年  3月

2020年  4月

2020年  5月

2020年  8月

2020年  9月

2021年  5月

2022年  4月

2022年  10月

2023年  4月

創立(アトランタ日本語補習校)として在留日本人家族、日本国総領事館、オグレソープ大学等の助力により、日本語を教える学校として発足する。オグレソープ大学の建物を借用し、アトランタ懇話会の一部として設置された。

幼稚部(5歳児対象)を設置。小学部入学のための準備として、日本語環境を特に与えておきたいということから発足する。

児童生徒の急増により校舎をグイネット郡のビバーリッジ小学校に移転する。同時に学校法人としてアトランタ懇話会(現ジョージア日本人商工会)から独立する。

日本国政府より中川衛派遣教員が校長として着任する。午後の授業(算数・数学)を開始する。また,夏期講習、クラブ活動も始まる

高学年の生徒が年々急増し、父母の強い要請もあって正式に高等部を設置する。

コブ郡教育委員会の強力な援助と地域日本人の努力によって、リンドリー中学校への移転が実現する。

日本国政府より今沢章浩派遣教員が校長として着任する。「本校の目的と精神」を策定する。

日本国政府より板山幸雄派遣教員が校長として着任する。 児童生徒の増加により、グイネット郡のメドークリーク高等学校を借用し、リン ドリー校とメドークリーク校の2校体制による出発となる。

日本国政府より校長として遠藤邦弘、教頭として瀧瀬久雄派遣教員が着任する。

メドークリーク校に高等部を新設する。全学級数は44になる。

児童生徒数減少により全学級数は39になる。

日本国政府より教頭として奥野吉人派遣教員が着任する。全学級数は36になる。

日本国政府より校長として中川章派遣教員が着任する。リンドリー校とメドークリーク校統合により1校体制による出発となる。全学級数は29となる。

創立20周年を迎え、「20周年記念誌」を発行する。

日本国政府より教頭として平野秀徳派遣教員が着任する。全学級数は24になる。

組織改革により、運営委員会を廃止する。全学級数は23になる。

日本国政府より校長として石黒誠一派遣教員が着任する。全学級は25になる。

国際学級からの編入等で児童生徒数の増加により、基礎クラスが2学級体制になる。 また、幼稚部と小学部3年は各1学級増の3学級体制となる。全学級数は28。

スクールカウンセラーが常駐するようになる。

幼稚部と小学部3年は2学級、小学部1年が3学級となる。全学級数は27になる。

日本国政府より校長として吉田信也派遣教員が着任する。学級数は28になる。

理事会の名称を学校運営委員会に改める。

日本語力向上コースを設置(対象を小学部2・3年)する。国際学級を閉級する。 学級数は23になる。

借用校舎の移転並びに改修工事により、グリフィン・ミドルスクールに移転する。

旧リンドリー校舎の外にトレーラーハウスを設置し、事務局とする。

借用校舎を旧リンドリー校に戻す。基礎クラスを閉級し、日本語力向上コースの対 象を小学部に広げる。学級数は24になる。

日本国政府より校長として矢橋良栄派遣教員が着任する。学級数は22になる。

借用校のグランド整備工事を行う。

漢字検定・児童漢検を実施する。

学級数は21になる。創立30周年記念事業を実施する。(~2005.3)

文部科学省より平成16・17年度海外子女教育研究協力校の指定を受ける。 創立30周年記念公開授業・研究協議会を実施する。

創立30周年記念式典を実施する。

「30周年記念誌」を発行する。

学級数は21になる。

日本国政府より校長として小久保正雄派遣教員が着任する。学級数は21になる。

学級数は22になる。

近隣補習授業校支援プロジェクト(授業研究会等)を本校で開催する。参加者49名。

学級数は21になる。

日本国政府の派遣として小池弘道校長が着任する。学級数は21。 創立35周年記念事業「ようこそ川上憲伸投手」8月、「創立35周年記念の集い」12月、 「創立35周年記念もちつき大会」1月、「創立記念DVD制作・配付」2010年2月

学級数は22になる。

近隣補習授業校支援プロジェクト(授業研究会等)を本校で開催する。参加者52名。

学級数は20になる。

日本国政府の派遣として九里徹校長が着任する。学級数は21。

学級数は22になる。

近隣補習授業校支援プロジェクト(授業研究会等)を本校で開催する。参加者36名。

もちつき大会を幼稚部と小学部の行事とする。

学級数は23になる。前期後期制の2学期制を導入する。

日本国政府の派遣として佐藤亨校長が着任する。学級数は24になる。

学級数は23になる。

「アトランタ日本人研究者の会」より2名の講師を招聘し講演会を開催。(10月1日)

近隣補習授業校支援プロジェクト(授業研究会等)を本校で開催する。参加者15名。

日本国政府の派遣として川上敏彦校長が着任する。学級数は22になる。

「アトランタ日本人研究者の会」より3名の講師を招聘し講演会を開催。(9月2日)

学級数は25になる。

「アトランタ日本人研究者の会」より3名の講師を招聘し講演会を開催。(10月13日)

学級数は25になる。

コロナ感染拡大のため事務局閉鎖(14日~)

卒業式、修了式中止

学級数は26になる

入園式、入学式、始業式中止

オンライン授業開始

学校改修工事開始(23日~)

事務局再開(3日~)

日本国政府の派遣として小泉敦校長が着任する(13日)

学校行事(運動会、話し方・弁論大会など)の中止決定

オンライン授業に加え、3週間に1度の分散登校を開始する。

3年ぶりに全面登校を再開する。学級数は20となる。

 3年ぶりに運動会・球技大会を実施する。

日本国政府の派遣として山﨑智明校長が着任する。学級数は22となる。

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